でも、私は知っている




でも、私は知っている



ある晴れた月夜の事。
空にはまるでコンペイトウをばら撒いたような幾選の星たちと、まん丸とは程遠い、欠けた月が夜の暗闇を照らしていた。
それだけで十分すぎる程の灯りだった。この夜空を照らすには。
けれど、いつの間にか町にはそんな月明かりを打ち消すように燦々と別の灯りが輝いている。
綺麗だとは思う。眩いばかりの光。色とりどりのネオンたち。
右を見ても左を見ても、どこもかしこも真夜中だというのに眩しすぎる程のネオンがこの歌舞伎町を覆っている。
けれど人工的に作られたこの灯りたちには、どこか冷たいものを感じる気がするのは気のせいだろうか…。

夜空を見上げれば、そこにはやはり月が当たり前のようにあって、弱々しく光帯びていてもとてもあたたかかった。

「この町も随分と賑やかになったな」
月夜の下、銀時はぽつりと言葉を漏らす。
別にこの町が嫌いなわけではない。明るく賑やかで、まるで夜を知らないこの町は 『眠らない町』 と呼ぶに相応しい。
けれどその反面、どこかひどく冷たくも感じた。
みな生きるのに必死で、気付けば誰も夜空を見ようとはしなくなった。
初めはどこも同じだったはずなのに、人はいつから空を見上げる事をしなくなったのだろう。

満月ではないけれど、それでもこんな綺麗な月夜には酒が欲しくなる。
別に高い酒で無くても良い。ただ、幾選の星と、ほんのり白く輝く綺麗な月があれば、それだけで十分に酒はうまい。
それでも酒が不味く感じるときは、その時は己の心が病んでいる時だ。
そんな事を思い、銀時はふらりと酒を求めて夜の歌舞伎町へと繰り出す。
見慣れた夜の町をただふらふらと歩けば、人込みに紛れて見知った顔の人間が一人。
長い漆黒の髪を翻し、それに反するようにきっちり着こんだ着物から覗く肌はまるで陶器のように白く。
ただ普段と違うのは、着物が淡い紫色の女もので、より一層目を引くのは口もとの艶やかな紅の色。
「…ヅラ?」
女装こそしてはいるが、見間違うはずもない幼馴染の姿がそこにあった。
あの姿でいると言う事は、あいつまだあそこでバイトしているのか…。心なしか、胸の奥がざわめいてくる。
どうやら向こうはこっちには気付いてはいないらしく、少し覚束ない足取りでふらりふらりと夜の町を歩いていた。
よく眼を凝らして見てみれば、頬はほんのりと赤く染まっており、恐らく酔っているのだろう。
加えてあの動きにくい女ものの着物だ。真っ直ぐ歩いているつもりなのだろうが、焦点が定まっていない。
あいつにしては珍しいな、と思いつつ、このまま行けばいずれ人とぶつかり迷惑がかかるだろう。
そうなる前に、と銀時が声を掛けようとした刹那、それは現実となって目の前に起こった。
「痛ぇな、ねぇちゃん」
そう声を上げたのは、ガチガチな筋肉の塊の様な大柄な男。顔には大きな走るような傷があり、一目で周りにいた人間たちは散り散りに逃げていく。
銀時からしてみれば相手が誰であろうと怯む事は無いけれど、一般市民からしてみれば絶対に関わりたくはないような男だろう。
「すみません…」
こんな時でもしおらしく女性のように振る舞う桂に感服はするが、少しは自分の置かれた状況も理解してほしいものだ。
酔っていて足元すら覚束ない上に丸腰で。満足に動く事すらできない女ものの着物。
どうあったって、単純に力では敵わないのは誰が見ても明白だろう。
「すみませんで済んだら警察はいらねぇんだよ」
最もらしい事を口にし、男が桂の手首を掴む。体格の差もあってか、桂の腕が普段より細く見えた。
ギリ、と骨が軋むのではないかと言うくらいに強く握りしめ、男が桂の手首を頭上にまで掲げる。
一瞬桂の足元がふらついたが、男は差して気に留めるでもなく乱暴に桂を壁へと押しつけた。
「…っ」
背中に走る鈍い痛みに桂の表情に苦痛が混じる。周りはすでに赤の他人を決め込み、誰も助けようとはしない。
見て見ぬふりをし、自分に飛び火が来ない様に遠巻きに見ているだけだった。
「…ふーん。ねぇちゃん、なかなか良いツラしてんじゃねぇか」
桂の顔を覗き込み、先ほどの態度から一変、男の鼻息が荒くなる。鼻の下は伸びきり、その辺の酔っ払いより達が悪い。
一応そいつ男なんですけど…と銀時は心の中で呟くが、一向に反撃を見せない桂に業を煮やし、気が付けば腰に帯びた木刀に手を伸ばしていた。
出来る事なら面倒事には関わりたくはないが、何だかんだ言いつつもこれが銀時の性分である。
普段から口では面倒だの疲れるだの言ってはいるが、結局は放っておく事など出来ず助けてしまう。
それが桂相手なら尚更だ。
どんな憎まれ口を叩いてはいても、やはり想い人は想い人。助けないわけがない。
「はいはーい、そこまでねー」
何とも気の抜けた声で銀時は大柄な男に声をかける。その一言に、その場の緊張の糸がするりと抜ける。
けれどそれも一瞬で、周りからはやめとけ、だのケガじゃ済まないぞ、だの色んなとこから声を浴びせられた。
そんな事言うくらいならテメェで行け、と思うが、そんな度胸のある人間はこの中には誰ひとりとていないだろう。
「何だ貴様は」
「そいつ、俺の連れなんだわ。その汚い手、離してもらえる?」
後頭部をガリガリと掻きながら気だるそうに話をすれば、顔に大きな傷を持つその大柄な男のこめかみに青筋が浮かび上がるのが見えた。
怒りたいのは俺の方だ、と銀時はその理不尽さに嫌気がさすが、ここまできたからには引く事も出来ない。
あぁ、やっぱり面倒くせぇな…帰りてぇな…などと思いはすれど、その心境とは裏腹に銀時の眼は赤く光る。
「何だ貴様はと聞いているんだ!」
言葉と同時に大きな拳が銀時目掛けて飛んでくる。
瞬間、周りの人間たちは反射的に眼を瞑り、溜息をつく者、悲鳴をあげる者、声すらあげられない者…一様様々。
拳の衝撃で銀時が立っていた辺りは噴煙に包まれ、すぐには安否はつかなかった。
けれど、そんな不安は一瞬にして吹き飛ぶ。
「そっちが先に手ぇ出したんだから、これは正当防衛になるよな?」
男の拳は当然かのように止められていた。洞爺湖と書かれた一本の木刀に。
しかし、それが確認できたのも一瞬で、気が付けば大きな閃光と共に男は地面へと倒れ込む。
たかだか木刀一本。されど使い手が一流ならそれは木刀でさえ凶器になる。
「ヅラァ、お前何やってんの。あんま銀さんに迷惑かけないでもらえる?」
「…銀、時」
一連の出来事を声もあげずに見ていた桂に声をかければ、やはりその顔はほんのり赤かった。


「お前さぁ、本当何やってんの」
「それはこっちのセリフだ!」
群がってくる野次馬を牽制し、銀時は桂を抱きかかえあの場を後にした。
別に桂自身歩く事は出来たのだが、銀時はそれを無視と決め込み多くのギャラリーの中颯爽と立ち去る。腕の中に桂を抱いて。
腕の中では下ろせと散々足掻くが、結局はそれを受け入れてはもらえず銀時のされるがまま。
そうこうしている内に銀時が向かった先は、妖しくピンク色に放つ連れ込み宿。所謂ラブホテルだ。
「何って…こんな所でする事と言えばひとつしかないでしょーが」
大人二人転がっても余裕のあるベッドに桂を横たえ、覆い被さるようにして銀時が馬乗りになる。
銀時の下で散々暴れまわった桂の着物は既に乱れ、裾から覗く白い四肢が薄明かりの部屋の中艶めかしく銀時を誘っていた。
普段からきっちり着物を着こんでいる所為か、陽の光を浴びていない身体は透き通るほどに白く滑らかな肌をしている。
女より綺麗な肌してんじゃねぇの、コイツ。と思うも、細いながらも引き締まった筋肉を見ればやはり男なんだと自覚させられる。
けれどその辺に居る女よりも顔が綺麗な分、長年の付き合いがあっても時々コイツが男だってことを忘れさせられた。
「離せ、銀時っ」
長い漆黒の髪を散らし、必死に抗うが結局何をやってもこの状況下で桂に勝機は皆無に等しい。ただ時間と体力を消費するだけだ。
頭では理解しつつも、それでも納得がいかず無駄な抵抗を試みる。
「いい加減大人しくしろよ」
「――ん、ふ…っ」
一瞬にして桂の視界が銀色に覆われる。ふわりと香ってくるのは銀時の優しく温かな匂い。
大きな掌と大きな背中。ベッドが軋み苦しいほどに抱き締められ、視覚、嗅覚、聴覚…感覚全てが銀時に支配される。
ねっとりと絡められる舌からじんじんと熱が生まれ、身体中が震え思考が一瞬にして霧散した。
舌先がしつこい程に追い、逃がさないとばかりに口腔内を犯してゆく様は、さながら銀時本人のようで。
甘く痺れる感覚に桂は眩暈を覚えた。
「…ふ、ぁ…んんっ」
いつもより長い長いキス。
仕事柄 すでに酒が入っていた所為か、いつもより身体に力が入らない。銀時の背中に手を回すのが精一杯で、それでも離すまいと指先に力を込める。
そんな桂を知ってか知らずか、ようやく銀時は狂おしいほどの口付けから桂を解放してやった。
「は…ぁ…銀、と…き…」
肩で大きく呼吸をし、虚ろな瞳で見つめるその姿は何とも言えない艶を感じる。正直女なんか目ではないとさえ思うくらいに。
乱れた着物から覗く白い肌。濡れた唇。虚ろな瞳。そして零れ落ちるのは甘く痺れるような吐息。
日に日に妙に艶を増していくこの幼馴染に、銀時は常に心臓を鷲掴みにされているような感じだった。
「ヅラ…お前もう女装なんかすんな」
「…銀、時?それでは西郷殿のいる店で働けなく…」
「あんなトコ行かなくても他で稼げばいいだろ!」
急に声を荒げる銀時に、桂の身体がびくりと震えた。
どうした、と伸ばしてくる桂の手をベッドへと縫い付けると、銀時はそのまま桂の首筋へと顔を埋める。
化粧をしている所為か、白粉の匂いが鼻を掠め それがまた銀時の不安と怒りを煽っていく。
ちっ、と軽く舌打ちをすると、そのまま噛みつくように桂の首筋に吸いついた。真っ白な肌に、くっきりと浮かぶ赤い刻印。
ひとつ、ふたつと刻みつける様に吸いつけば、桂の口から甘い吐息が漏れる。
「…っ…あ」
触れる度にぴくりと反応を示すこの幼馴染が心底愛おしい。こんな感情を持つ事がおかしい事は百も承知だ。
けれど抑えきれない。
ずっと、ずっと…どんな憎まれ口を叩いてはいても、生涯を共にするのはコイツだと、安心して背を預けられるのはコイツだと…そう思っている。
恋人とか…そんな生易しいものじゃないんだ。コイツは。
「銀時…どうした?」
穏やかな笑みを浮かべ、桂が優しく銀時の頭を撫でる。
ほっそりとした腕。あぁ、コイツまた痩せたな…と、頭の片隅で銀時はそう思った。
「いつものお前らしくないぞ…」
「お前だって!あんな雑魚に何やられっぱなしになってんだよ!」
「いや、あまり騒ぎになっても困るだろう」
それに、銀時がいるのが見えたから。必ず手を貸してくれると思っていた。
当然のようにそう言われ、銀時は唖然とする。
俺が助けに行かなかったらお前はどうしていたんだ。あの筋肉バカに良いようにされていたのか?
それとも騒ぎになるのを覚悟でアイツを打ちのめしていたとでも言うのか。それこそ真撰組沙汰になるのがオチだ。
ふと考えて、銀時からしてみればどれも面白くないこの現実。
ガリガリと頭を掻き、結局残る選択肢は第三者である銀時が助ける方法が一番ベストだったわけで。
この幼馴染は、全てを把握したうえで何も抵抗をしなかったのだ。
「お前、バカだろ」
「貴様ほどではないぞ」
「うるせぇ!お前の方がバカだ!」
頼むから、もうこれ以上心配をさせないでくれ。迷惑なんだ、本当に。
ぽつりと聞き取れないほどの小さな音で言葉を零せば、聞こえたのか定かではないが桂が優しく銀時を抱きしめる。
そこに言葉なんかひとつも無いけれど、それでもこの二人には言葉以上の伝え方がある。
言葉でしか伝えられない事も多いけれど、逆に言葉では伝えきれない事も多い。それが口下手な相手なら尚更。

「手首…赤くなってるな」
「こんなもの、すぐに治るさ」
くっきりと、跡が付くほど強く握られていた桂の手首に銀時は優しく口付けを落とすと、そのまま続けて唇にも口を寄せた。
「消毒だ。」
「…銀時?」
「あの筋肉バカが見たとこ、触れたとこ…全部消毒してやる」
突然言い出した事に一瞬理解が出来なかったが、以外にも銀時の瞳は真剣そのものだったので桂もそっと身を任す。
「あぁ。そうしてくれ」


全て事が終わったらまだ空に月は昇っているだろうか。もし月がまだそこにあったら、コイツに酌でもしてもらうかな…。
そんな事を思い、銀時は目の前の幼馴染を優しく抱きしめていった。




2011/05/16



タイトルはcecilさまよりお借りしました。